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日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|歴史上の人物調べ一覧

2020年放送のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』

このページは日本史が苦手すぎて次々現れる歴史上の人物を追いきれない私が、初登場の度に調べて簡単にまとめたものの一覧です。

実在した登場人物が増えるごとに更新します。

主要な人物については予習をしたコチラ↓

日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』 予習編

 

美濃

斎藤家

斎藤利政(道三)(本木雅弘)…美濃国の守護代。名もない境遇から僧侶、油商人を経て戦国大名に成り上がる。油商人から武士として長井長弘の家臣に転職し、その手腕で土岐頼芸の守護就任に貢献し、長井長弘を殺害。頼芸との関係はその後悪化、頼芸を追放して事実上美濃No.1の地位に躍り出る。1554(天文23)年2~3月の間に長男・斎藤高政に家督を譲り、剃髪し仏道に入り隠居する。長男の高政より次男・斎藤孫四郎や三男・斎藤喜平次を寵愛し、高政との親子関係は悪い。1556(弘治2)年4月、長良川河畔で高政と戦い、娘婿の織田信長の救援が間に合わず戦死する。別名「美濃の蝮」。金にうるさく狡猾な性格だったよう。
斎藤高政(義龍)(伊藤英明)…斎藤道三の長男。母は側室の深芳野。しかし、深芳野が守護・土岐頼芸の妻であったことから頼芸の子であるという説もある。父・道三から「ほれもの(愚か者)」と言われ、弟たちとの扱いの違いに不満を募らせていた。1554(天文23)年、道三の隠居により家督を継いで稲葉山城城主となる。1555(弘治元)年、弟の斎藤孫四郎、斎藤喜平次を家臣に命じて殺害させ、父との関係は最悪のものとなり翌1556(弘治2)年、長良川の戦いで道三を討ち果たす。「斎藤文書」の発行など政治家として活躍するが、1561(永禄4)年5月11日に35歳の若さで病死する。
帰蝶(濃姫)(川口春奈)…道三と正妻・小見の方の娘。みなさんご存知のちの信長の妻。

↑この3人、初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第一回「光秀、西へ」【あらすじ】

深芳野(南果歩)…道三の側室。もともとは土岐頼芸の側室だった。1526(大永6)年頃12月、道三に下贈される。翌年初夏頃?に高政出産。創作の人物説あり。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第三回「美濃の国」【あらすじ】

斎藤孫四郎(長谷川潤)…道三の次男。母は深芳野?小見の方? 道三の寵愛を受け、跡継ぎ候補だった。兄・高政を侮るようになり、道三の隠居後の1555(弘治元)年11月12日、高政の家臣・日根野備中守に殺害される。
斎藤喜平次(犬飼直紀)…道三の三男。母は深芳野?小見の方? 道三の寵愛を受けた。次兄・孫四郎とともに長兄・高政を侮るようになり、道三の隠居後の1555(弘治元)年11月12日、高政の家臣・日根野備中守に殺害される。

↑このふたりの初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第十五回「道三、わが父に非ず」【あらすじ】

斎藤家の家臣

稲葉義道(一鉄・村田雄浩)…もとは土岐頼芸の家臣。追放後に道三に仕えるようになった。道三の側室で高政の母・深芳野(南果歩)は実の姉に当たる。今後、1556(弘治2)年の高政vs道三戦(長良川の戦い)では高政側につき、その病死後も美濃で信長と戦う。1567(永禄10)年、斎藤家の配下から離脱して織田信長に就く。本能寺の変後は豊臣秀吉に従うようになる。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第十一回「将軍の涙」【あらすじ】

日根野備中守(山本浩貴)…斎藤道三、斎藤高政に仕える。1555(弘治元)年、高政の命で斎藤孫四郎、斎藤喜平次を殺害。高政の息子・龍興にも仕えた。織田家への抵抗を続けたが1567(永禄10)年に大名としての斎藤家が滅び、日根野一族も浪人となる。遠江国の今川氏真、織田家、豊臣家などの家臣を渡り歩き、1602(慶長5)年に死去。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第十五回「道三、わが父に非ず」【あらすじ】

 

土岐家

土岐頼純(矢野聖人)…1546(天文15)年、叔父・土岐頼芸によりその座をもらい美濃の守護に就任。道三の上司的な立場。帰蝶と婚姻。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第二回「道三の罠」【あらすじ】

土岐頼芸(尾美としのり)…名家・土岐家の一員として絶大な権力を持っていた。実の兄や甥・頼純(第二回で道三に毒殺された美濃の守護)と守護の座を争い就任したり失ったりを繰り返しながら天文11年頃?再び守護の座に就くが、天文15年に美濃と越前の和睦の条件としてその座を頼純に明け渡す。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第三回「美濃の国」【あらすじ】

明智家

明智光安(西村まさ彦)…光秀の叔父。明智城城主。光秀の実父が早く亡くなり光秀がまだ幼かったことから城主になった。妹の小見の方は斎藤道三の正室。帰蝶などの道三と小見の方に生まれた子は姪・甥にあたる。道三の側室の子・斎藤高政と道三の死後に対立し、同士とともに明智城に籠城する。しかし高政側に攻められ1556(弘治2)年9月に城内で自害する。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第一回「光秀、西へ」【あらすじ】

妻木熙子(木村文乃)…光秀の正室。3男4女をもうけたとされるが諸説あり。光秀との夫婦仲は非常によかったと言われる。美濃から越前に移ると生活は困窮するが、自分の髪を売って費用を工面したなどの逸話がある。1576(天正4)年の秋か夏?死去。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第十回「ひとりぼっちの若君」【あらすじ】

明智佐馬助(のちの秀満・間宮祥太郎)…のちの光秀の重臣。光安の息子=光秀のいとこ説は定かではない。1578(天正6)年以降に光秀の娘と婚姻。1582(天正10)年の本能寺の変の際は先鋒となって襲撃。光秀がその後死亡したことを知ると、琵琶湖の近くの光秀の築いた坂本城に篭って貴重品を整理する。その夜、光秀の妻子、自分の妻を刺殺した後自害したとされる。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第十二回「十兵衛の嫁」【あらすじ】

細川ガラシャ(現時点ではたま呼び)…1563(永禄6)年に越前で生まれた明智光秀と熙子の次女(諸説あり)。1578(天正6)年に織田信長の発案により、細川藤孝の嫡男・忠輿に嫁ぐ。1582(天正10)年の本能寺の変によって謀反人の娘という立場になり、夫により丹後国の三戸野に幽閉されたと言われる。1584(天正12)年に夫の元へ戻るがカトリックの教えに心惹かれ、夫の不在時に教会に通うなど信仰を深める。豊臣秀吉によるバテレン追放令を知ると、自宅でひそかに洗礼を受けガラシャとい洗礼名を得た。信仰を認めない忠輿はガラシャに辛く当たる。1600(慶長5)年、忠輿の上杉征伐による不在時、石田三成の兵に屋敷を囲まれ死亡。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第二十二回「京よりの使者」【あらすじ】

 

三好家

松永久秀(吉田鋼太郎)…長慶の家臣。生涯にわたり長慶に仕え三好政権時代は大和国の戦国大名のような立場にまでのし上がる。長慶の死後も三好家を支える。1566(永禄9)年、より織田信長と交流を持ち、2年後に上洛に成功した信長に「九十九髪茄子(唐物の茶入れ)」を献上する(信長没後は豊臣秀吉など多数の手に渡る)。信長に大和一国の支配を認められたが、1572(元亀3)年、信長に敵対。しかし降伏する。1577(天正5)年、信長の命に背き信貴山城に立てこもり、織田軍に包囲される中、天守に火をつけて自害する(信貴山城の戦い)。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第一回「光秀、西へ」【あらすじ】

三好長慶(山路和弘)…晴元の家臣。畿内の戦国大名。今後1550(天文19)年に上司である細川家を崩壊させ、三好政権を確立することになる。1560年前後には勢力をかなり広範囲に広げるが、病にかかり1564(永禄7年)死亡。その後三好政権は織田信長に崩壊される。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第五回「伊平次を探せ」【あらすじ】

三好義継(黒部弘康)…三好長慶の実弟・十河一存の子。実父の休止により長慶の養子となる。1564(永禄7)年の長慶の死後、三好三人衆(三好長逸・三好政康・岩成友通)の支持を受け三好家当主となる。1565(永禄8)年5月、三好三人衆らを伴い上洛、二条御所を襲撃し足利義輝を殺害する(永禄の変)。しかし三人衆と松永久秀間の関係悪化、三人衆が狙う足利義栄擁立の過程でないがしろにされるなどし、ないがしろにされた義継は久秀と手を組むことになる。1567(永禄10)年10月の東大寺大仏殿の戦いで三人衆には勝利する。1568(永禄11)年、足利義昭擁立の際の織田信長の上洛に協力、河内北半国と若江城の領有を許される。1569(永禄12)年、三人衆が義昭を襲撃、信長派と協力し撃退する(本圀寺の変)。その後しばらくは信長の家臣として反信長勢力と戦っていたが1571(元亀2)年頃から久秀と手を組んで信長に反逆し、信長包囲網の一角に加わる。1573(元亀4)年4月、義昭が京から追放され室町幕府が滅んだ際に義昭を庇護したことで信長の怒りを買い、信長軍の攻めや重臣の裏切りにより若江城で自害(若江城の戦い)。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第二十四回「将軍の器」【あらすじ】

細川家

細川晴元(国広富之)…室町幕府最後の管領(将軍に次ぐ最高の役職)。1537(天文6)年より任官。戦・和睦を繰り返し今の地位についた超実力者のようです。しかし主従関係にあるはずの三好長慶たちが晴元を脅かすほどの存在になっていて、翌年、摂津国江口で戦うが敗北(江口の戦い)。将軍・足利義輝らとともに近江に逃亡。その後1561(永禄4)年に長慶と和睦するも、摂津の普門寺城に幽閉され、2年後に死亡。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第五回「伊平次を探せ」【あらすじ】

足利将軍家

足利義輝(向井理)…室町幕府第13代征夷大将軍(1546(天文15)~1565(永禄8)年在職)。今後1549(天文18)年、江口の戦いで敗れた細川晴元により近江へ下がる。1552(天文21)年、三好長慶と和解し京へ戻るが再び戦に敗れ近江へ逃げる。1558(弘治4・永禄元)年、再度長慶と和解し京に戻り入洛。幕府権力の復活を目指す。斎藤義龍(高政・伊藤英明)も大名として下に就く。しかし松永久秀などの面々には邪魔な存在であり、1565(永禄8)年、二条御所にて殺害される。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第五回「伊平次を探せ」【あらすじ】

足利義昭(初登場時は覚慶呼び・滝藤賢一)…将軍・足利義輝の弟。足利将軍家の家督相続者以外の子の慣例で幼い頃より仏門に入り、覚慶と名乗る。1568(永禄11)年、永禄の変により義輝が殺されると松永久秀の子・久通らによって興福寺に幽閉・監視される。しかし三淵藤英・細川藤孝・一色藤長らによって助けられ脱出し、近江国の和田城に避難する。1566(永禄9)年に還俗(僧侶から俗人に戻ること)するが情勢が上洛を許す状況でなく、越前の朝倉義景を頼る。1568(永禄11)年。明智光秀の仲介により織田信長を頼って尾張に移り、織田軍と北近江の浅井長政軍に警護され上洛。第15第将軍に就任する。就任後は兄・義輝暗殺、前将軍・足利義栄擁立に便宜を働いた容疑で近衛前久を追放する。その後幕府復興を狙う義昭と、天下統一を狙う信長の関係が徐々に悪化し、1572(元亀3)年、信長から義昭へ批判ばかりの17条の意見書が送られたことにより対立は決定的なものとなる。翌年の戦で義昭は降伏、京から追放され朝倉、浅井などの反信長「信長包囲網」は瓦解する。信長追討を諦めなかった義昭は1582(天正10)年の本能寺の変を好機に上洛を目論み、1585(天正13)年から2年半「関白秀吉・将軍秀吉」という時代が続く。1587(天正15)年10月、京に帰還。翌年将軍職を辞する。1597(慶長2)年、死去。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第二十二回「京よりの使者」【あらすじ】

足利将軍家の家臣

細川藤孝(眞島秀和)…足利義輝の家臣で、義輝の死後はその弟の足利義昭を擁立させる。光秀を通じて織田信長と出会い、家臣となる。信長の家臣時代は光秀とも度々協力し合い、1577(天正5)年の信貴山城の戦いの際には共に信貴山城を落とす。息子・忠興は後に光秀の娘・玉と結婚する。本能寺の変以降は隠居し、豊臣秀吉や徳川家康に仕える。戦国~江戸時代初期までを生きた。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第五回「伊平次を探せ」【あらすじ】

三淵藤英(谷原章介)…義輝の家臣で藤孝の異母兄。今後義輝の死後は信長を頼り、義昭の擁立後にその重臣となる。足利家に忠心を誓い、信長と義昭の対立の際、弟・藤孝が信長側についたことを許せずに襲撃する計画を立てる。義昭の挙兵に従うが、二条城に籠城するも織田軍に降伏。義昭の降伏により室町幕府は事実上滅亡する。信長に仕えることとなるが、1574(天正2)年、自害を命じられ死亡。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第一回「光秀、西へ」【あらすじ】

一色藤長(上杉柊平)…将軍・足利義輝の家臣。1565(永禄8)年の義輝の死後、三好三人衆によって興福寺に幽閉された足利義昭を脱出させて救出する。1573(元亀4)年に織田信長によって義昭が京を追放されるとそれに従って紀伊国に下る。その後、義昭の命に背き家臣の命を失う。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第二十三回「義輝、夏の終わりに」【あらすじ】

朝廷

近衛前久(本郷奏多)…1554(天文23)年より関白職に就く。上杉謙信と盟約を結んだ際など、関白の職にありながらあちこち渡り歩く行動力の持ち主のよう。今後、従兄弟でもある将軍・足利義輝没後には三好の推す足利義栄の将軍就任を決定する。1568(永禄11)年、兄・義輝の死に前久が関わっていると疑った足利義昭によって朝廷から追放、摂津国の石川本願寺に移り関白職を解任される。1575(天正3)年、織田信長により帰洛を許され、以降親交を深める。1582(天正10)年、本能寺の変で明智光秀と協力したという疑いをもたれ立場が悪くなり、徳川家康を頼り遠江国浜松に逃げる。翌年家康のあっせんにより京に戻るが、豊臣秀吉vs家康の戦いが勃発するとまたも立場が危うくなり奈良に逃げ、和議成立後に帰洛。1587(天正15)年に隠棲するも、1600(慶長5)年の関ヶ原の合戦でかつてのように活躍。1612(慶長17)年、77歳で死去。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第二十二回「京よりの使者」【あらすじ】

正親町天皇(坂東玉三郎)…おおぎまちてんのうと読む。1557(弘治3)年、天皇に即位。朝廷の財政は逼迫し権威も地に落ちている中、1568(永禄11)年の織田信長が上洛・京制圧、さらに財政も回復させる。その後その権威を用いて信長と各大名や足利義昭との戦いの講和を勅命する。信長の死後は豊臣秀吉の後ろ盾となる。1586(天正14)年、孫に譲位して隠退。1593(文禄2)年、77歳で崩御。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第二十四回「将軍の器」【あらすじ】

 

尾張

織田家

織田信秀(高橋克典)…尾張国の戦国大名。織田信長の父。1538(天文7)年頃に那古野城を奪い、翌年に古渡城を築き熱田を支配するなど勢力を広げた。

↑初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第一回「光秀、西へ」【あらすじ】

土田御前(檀れい)…信秀の妻で信長の母。毒親気味で、長男の信長より次男の信勝をより可愛がったらしい。今後、夫の死後は信勝と生活するが信勝は兄に反逆し誅殺される。そして信長と生活するようになり本能寺の変以降も生き延び、1594(文禄3)年に伊勢で死亡。
織田信勝(木村了)…信長の弟。うつけ者の兄と違い常識的なしっかり者。父・信秀の死後、末盛城を継承する。尾張の支配権を巡って信長を対立して幾度となく戦う。母・於大の方のとりなしも虚しく対立は続き、1558(永禄元)年11月に清須城にて信長に殺される。

↑この2人、初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第九回「信長の失敗」【あらすじ】

織田信広(佐野泰臣)…織田信秀(高橋克典)と側室の間に生まれた。織田信長(染谷将太)にとっては腹違いの兄。今後、斎藤高政(伊藤英明)と謀反を企てるが失敗、信長とも敵対するも退けられ仕えることに。織田家をまとめる立場になるが、1574(天正2)年、長島一向一揆で討ち死にする。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第十回「ひとりぼっちの若君」【あらすじ】

織田彦五郎(梅垣義明)…尾張下四郡の守護代。織田信秀・信長親子とは対立関係にあった。1554(天文23)年、家臣の坂井大膳と計り、守護・斯波義統を暗殺。1555(天文24)年、主殺しの咎によって織田信光に殺害される。
織田信光(木下ほうか)…守山城城主で織田信秀の弟。織田信長の叔父にあたる。1555(天文24)年4月19日、織田彦五郎、坂井大膳の誘いに乗るふりをして清須城に入場、翌20日に彦五郎を殺害する。その後は信長により那古野城を譲られるが1556(弘治元)年11月26日に不慮の死を遂げる。

↑このふたり、初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第十五回「道三、わが父に非ず」【あらすじ】

奇妙丸(のちの織田信忠・加藤矢紘)…織田信長と愛人との間に生まれた長男。1557(弘治3)年生まれ。信長と数多の戦を共にし、1576(天正4)年に家督、美濃東部、尾張の一部を譲られ、信長の正室・帰蝶を養母として岐阜城城主となり、帰蝶の弟である斎藤道三の末子・斎藤利治が側近となる。1577(天正5)年8月、信貴山城の戦いで明智光秀、豊臣秀吉らを指揮して松永久秀親子を落とす。その後も徳川家康らとも多くの戦果を挙げ、影響力を広げる。1582(天正10)年、本能寺の変で父・信長の死を知ると光秀を迎え撃つべく二条新御所に移動、籠城したのち自刃。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第二十一回「決戦!桶狭間」【あらすじ】

織田家の家臣

平手政秀(上杉祥三)…織田家の家臣。信秀、信長に仕える。文化人かつ外交を得意とし、のちの信長と帰蝶の婚姻を取りまとめることになる。信秀の死後、織田家が不穏になる中、1553(天文22)年閏1月13日に自刃にて死亡。

↑初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第一回「光秀、西へ」【あらすじ】

佐久間盛重(室山和廣)…信秀の家臣。今後、信勝に仕えるが、信長と兄弟間バトルが勃発した際は信長側につく。1560(永禄)3年に桶狭間の戦いで戦死。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第十二回「十兵衛の嫁」【あらすじ】

佐々成政(菅裕輔)…信長の家臣。今後は信長の直属の̪使番である「黒母衣衆」の一員となり、鉄砲を用いた戦いで活躍。越前府中を信長から与えられて城を築く。本能寺の変後は勝家につくが、合戦中に豊臣秀吉に降伏し、越中一国を与えられる。その後秀吉を裏切るが戦で負け領地を没収される。1587(天正15)年の九州征伐でいい働きをした結果肥後一国を与えられるが、国人に一揆を起こされてしまい、責任を取るために切腹させられて死亡。
前田利家(入江甚儀)…1551(天文20)年頃から信長に仕える。「かぶき者(派手な身なりの常識破れな人)」として有名。今後、織田家の身内争いで信長に就いて功績を上げ、赤母衣衆の筆頭となる。妻はまつ。信長のお気に入りの同朋衆の拾阿弥ともめて、信長の目の前で斬殺してしまう(笄(こうがい)斬り)。処刑はされずに済み、出仕停止処分とされて浪人となる。その後無断で桶狭間の戦いに参加し功績を上げたことで、再び信長の元へ。1581(天正9)年、信長より能登一国を与えられ初代加賀藩主になる。

↑このふたり、初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第十四回「聖徳寺の会見」【あらすじ】

坂井大膳…織田彦五郎の重臣。1554(天文23)年、尾張の守護・斯波義統を殺害。しかし、織田信長の反撃を受けて安食の戦いで大敗。翌年、彦五郎が織田信光に殺害された際に駿河に逃亡、その後消息不明。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第十五回「道三、わが父に非ず」【あらすじ】

柴田勝家(権六)(安藤政信)…織田信秀、織田信勝の家臣。信勝を信秀の後継者にするために織田信長と争う(稲生の戦い)が、敗れて降伏。1557(弘治3)年、信勝の謀反の計画を信長に密告し信勝を裏切る。その後は信長の家臣となり、重用されるようになる。勝竜寺城の戦い、足利義昭襲撃の本圀寺の変、浅井・朝倉との姉川の戦い、光秀との志賀の陣、比叡山焼き討ち、朝倉氏を滅ぼすために羽柴秀吉と共に一乗谷城の戦いなどに参加する。1582(天正10)年の本能寺の変の際は越中国を攻囲しており出遅れて、光秀は秀吉の軍が討っていた。清須会議で承諾を得て、信長の妹のお市の方と結婚する。秀吉と対立するようになり、1583(天正11)年4月24日北庄城にてお市の方とともに自害する。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第十八回「越前へ」【あらすじ】

中条家忠(野添義弘)…織田信長の家臣。信長に早くから仕え、数多の戦いに参加している。1577(天正5)年3月に秀興山正林寺を創設。その年の8月30日に死去。
簗田政綱(内田健司)…織田信秀・信長親子の家臣。桶狭間の戦いでの功績が有名で、戦功によって沓掛城を与えられたと言われる。死没時期、不明。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第二十回「家康への文」【あらすじ】

佐久間右衛門厨信盛(金子ノブアキ)…織田信秀・信長親子の家臣。桶狭間の戦いでは善照寺砦を守備し、戦後に鳴海城を与えられる。この後、松永久秀を味方につける交渉をしたり、比叡山焼き討ち、将軍・足利義昭との和睦交渉など多岐にわたり関わる。1573(天正元)年8月、朝倉義景軍の追撃を怠ったため信長の怒りを買った上に口答えしてしまい、厳罰を命じられそうになる。1580(天正8)年、この時点で織田家の中でも最大規模の軍団を統率していたが、信長から19カ条にわたる折檻状を突きつけられて追放される。その後のポストは明智光秀が担い、本能寺の変へとつながっていく。1582(天正10)年、死去。
佐々隼人正(政次・内浦純一)…織田信秀・信長親子の家臣。桶狭間の戦いの序盤で信長が善照寺砦に到着したしたのち、今川義元軍に攻撃をかけ討死する。
毛利新介(のちの良勝・今井翼)…織田信長の家臣。1560(永禄3)年、桶狭間の戦いで今川義元の首を取り名を挙げる。1569(永禄12)年の大河内城攻め、1582(天正10)年の甲州攻めで信長とともに参戦。本能寺の変の際、信長の子・織田信忠を守って二条新御所に籠城し共に討死。

↑この3人、初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第二十一回「決戦!桶狭間」【あらすじ】

斯波家

斯波義統(有馬自由)…尾張の守護だが実権はなく、家臣の織田彦五郎の傀儡状態だった。織田信秀と協力関係にあったため、直接の家臣である織田彦五郎との関係が悪化。彦五郎の信長暗殺計画を信長本人に密告、それを知った彦五郎が激怒しその家臣・坂井大膳に殺害される。自害説もあり。
斯波義銀(松田周)…斯波義統の息子。父が殺害されたのちは織田信長の庇護下に入る。形式的な尾張の守護となるが、信長の追放を画策するようになる。しかし信長に知られてしまい尾張を追放、大名としての斯波家は滅びた。本能寺の変の後は豊臣秀吉の家臣になる。1600(慶長5)年、死去。

↑このふたり、初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第十五回「道三、わが父に非ず」【あらすじ】

毛利長秀(竹井亮介)…織田信長の家臣で斯波義統の子。数多の戦いに参加し、今後は松永久秀の1度目の謀反の降伏で差し出した多聞山城を受け取り役を務める。1574(天正2)年頃、信長の子・織田信忠の家臣となる。本能寺の変の後は豊臣秀吉に仕える。1593(文禄元)年、死去。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第二十回「家康への文」【あらすじ】

 

駿河

今川家

今川義元(片岡愛之助)…駿河国・遠江国の戦国大名。相当な軍事力を持ち、東海道の広い範囲を支配した。武田信玄や北条家と親戚関係にあるようです。のちの1560(永禄3)年、桶狭間の戦いで死亡。

初登場は【ネタバレ】日本史苦手な大人が観た『麒麟がくる』|第三回「美濃の国」【あらすじ】

今川家の家臣

太原雪斎(伊吹吾郎)…吉本の右腕の僧侶。軍を率いて戦も指揮する。かなり有能な人物で、1年前の三河・小豆坂で信秀と戦った。今後は竹千代の奪還などで軍事、外交で活躍。1555(弘治元)年、死亡。

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朝比奈親徳(山口馬木也)…今川義元の家臣。1548(天文17)年の小豆坂の戦いにも参戦していた。1559(永禄2)年には徳川元康(のちの家康)の後見人を務めた。義元の死後も今川氏真の元で働き、1566(永禄9)年に死去。
鵜殿長照(佐藤誓)…今川義元の家臣。義元の妹の子で、甥にあたる。義元の死後はその子の今川氏眞に仕え、松平氏と敵対していく。1562(永禄5)年、戦死する。

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三河

松平家

徳川家康(竹千代→松平元信→徳川家康)(岩田琉聖→池田優斗→風間俊介)…1543(天文11)年、三河国で生まれる。6歳で今川家のいる駿府(駿河国の都市)に人質として送られそうになるが、途中で親族の裏切りにあい尾張の信秀の元へ送られる。父・松平広忠は織田と敵対する今川家の庇護下にあり従属を貫き続けているため、織田側が竹千代を人質に再度脅してきているが要求には応じず、竹千代は古渡城に留め置かれている。

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松平広忠(浅利陽介)…三河(尾張と駿河の間にある国)の岡崎城の城主。信秀に進攻され、義元へ加勢を頼んだ際に人質として息子の竹千代(のちの徳川家康)を送るが、裏切りにより竹千代は現在尾張の信秀の元にいる。ちなみに竹千代は父親が嫌い。1549(天文18)年3月6日に死亡。死因は諸説あり。

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源応尼(真野響子)…徳川家康の祖母。何回かの結婚と夫との死別の後、今川義元を頼り駿河に入り、出家する。家康が今川の人質として駿河に送られてから元服するまでの8年間、希望して面倒をみた。1560(永禄3)年、死去。

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越前

朝倉家

朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)…越前国の戦国大名。正室は細川晴元の娘。今後、加賀国と対立する。足利義昭(滝藤賢一)が幽閉先の奈良を脱出するのを画策したりと関係を深め、その仲介で加賀と和解する。織田信長に従うことを良しとせず、1570(元亀元)年には織田・徳川連合軍と朝倉・浅井連合軍が激突する(姉川の戦い)。志賀の陣でも再び対決し、立てこもりに使った比叡山は、翌年信長に焼き討ちにされる。1573(天正元)年8月、家臣の信頼を失い兵を十分に集められなかった義景は田部山の戦いで壊滅的な敗退をし逃走、一乗谷へ帰還する。そこへ柴田勝家率いる織田軍が攻め込み、神社仏閣などを放火する(一乗谷城の戦い)。従兄弟の朝倉景鏡のすすめで賢松寺に逃れるが、景鏡の裏切りにあい自刃にて死亡。

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